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秋山翔吾、父の教えを胸に最多安打記録

   

2015シーズンに日本プロ野球シーズン最多安打記録を樹立した秋山翔吾選手。サムライジャパンにも選出され、名実ともに日本を代表する野球選手になった。

秋山選手が野球を始めたのはなんと、2歳だという。大きな影響を与えたのは父・肇さんである。そんな父の厳しい指導もあり、秋山選手は逞しく成長した。秋山選手の父との歩みと現在の活動について探ってみた。

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経歴

秋山選手は、保育園ですでにプロ野球を意識していたと言う。父による厳しい指導でメキメキと実力を伸ばしていった。よくある事だが、より早く一塁に到達できるために右投げ左打ちになったという。打撃フォームは父の指導のもと、清水氏(元巨人)を参考にしてつくりあげた。

野球とは別に陸上の練習をして足腰を鍛え上げるという厳しい練習にも耐えた。それはプロ野球で活躍するという明確な意志があったからに他ならない。そんな父子二人三脚の野球漬けの生活も突然終わりを告げる。秋山選手が小学6年生の時に父が病気で他界する。まだ子供だった秋山選手にとって、精神的にどれほど辛かったかは想像できないが、秋山選手は父に教わった野球を辞めることはなかった。中学校に入っても硬式野球のチームに所属しながら中学校では陸上部に入るなど、父と努力してきたことを継続した。

高校で甲子園に出場することはできなかったが、主力選手として活躍し進学した八戸大学では一年からレギュラーになり、4年時には数々のタイトルを獲得。そして埼玉西武ライオンズから3位指名を受け、父子の念願であったプロ野球選手になった。

シーズン最多安打記録

迎えた2015シーズン、父とつくりあげた打撃フォームを同僚の森友哉選手のフォームを参考にして改造。点でとらえるダウンスイング気味のフォームから、バットを寝かせるようなレベルスイングに変更。それが功を奏してヒットを量産していく。

また、2014年11月に生まれた長男と遊んでいるうちに気持ちの切り替えを学んだ。笑ったと思ったら泣いている。そんな長男をみて、失敗してもすぐ切り替えて同じ失敗を繰り返さなくなった。また真面目すぎる秋山選手はアドバイスも全部きいてしまうため、混乱してしまい、調子を崩すと迷ってしまうところがあった。気持ちの切り替えができるようになり、その迷いもなくなった。自分自身が父になり急成長を遂げたのである。

最終的にそれまでのシーズン最多安打記録である、マット・マートン選手の214本を2本上回り216本の最多安打記録を樹立した。後輩からも学ぼうとする野球に対する謙虚な姿勢と父から学んだたゆまぬ努力が生み出した大記録であると私は考える。

ひとり親家庭の親子を試合に招待

秋山選手はグラウンドの外でも、早くに父を亡くした自身の経験から、ひとり親家庭の親子ををホームゲームに招待する活動を行っている。

「苦しい事や不安な事もありましたけど、父がいなくなって残されたのが野球だけだったので、それを頑張る力に変えられたと思います。働いている分親子で時間を共有するのは短いと思うんです。ひとり親だと特に。一瞬だけでもいいので親子の会話だったり、一緒にいる時間が増えるのもすごい大事だと思います。」

と語った秋山選手。招待された親子にとって非常に良い思い出となる事であろう。そしてここで招かれた子供達の中から将来、秋山選手の記録を抜くような選手が出てくるかもしれない。

父との二人三脚で歩みだした野球人生、いまでは自身も父親になり、みんなの夢を乗せてプロ野球選手として活躍し続けている。そんな秋山選手をこれからも応援していきたい。

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