スポーツ情報&応援サイト すぽたま

スポーツをこよなく愛する者が、競技、選手、チーム等の注目した情報を書いていきます。

英明野球部、香川智彦監督 苦労の末たどり着いた野球

   

香川県の英明は高校野球の強豪である。英明を率いる香川智彦監督は苦労を重ね、チームを強豪に育て上げた。今回はそんな香川監督について調べてみた。

スポンサーリンク




経歴

香川県出身の香川監督は丸亀商(現丸亀城西)で野球部員として活躍、専修大学に進んで野球を続け、卒業後はコーチを務めた。その後、寒川の野球部監督を13年務めた後、社会人野球の監督を経験した。

一時期は野球から離れていたが、母校からの要請で丸亀城西の野球部監督に就任、1997夏の甲子園出場に導いた。その後、観音寺中央の監督を務めた後、英明の野球部監督に就任した。

英明では不利な環境を工夫で乗り越え、就任5年目でチームを甲子園へ導いた。その後も四国大会を制するなど四国の強豪として位置づけられている。

香川監督の苦労

情熱に燃えて寒川の監督に就任した香川監督だったが、13年間で一度も甲子園に出場する事は出来なかった。私立の寒川では専用グラウンドも用意され、環境は抜群だった。選手をスパルタで鍛えたが結果が出なかった。

その後、社会人野球の監督を務めたが、長くは続かず野球から離れた。しかし母校からの監督就任の要請があり、仕事をしながら指導を行った。ここで初めて甲子園を経験する。

観音寺中央では春夏通算10度の甲子園出場、1995春の甲子園を制した橋野純監督の元で指導を学び、後を継いで監督に就任した。しかし甲子園への道は遠く、7年で退任した。そんな香川監督に英明から監督就任の話しがきた。

英明で変わった事

英明では野球部を強くする前に教諭としてしっかり指導するよう求められた。そこで香川監督は勝つ事に拘っていた自分に気付き、高校生として勝つ事よりも大切なものを追い求めるようになった

英明では野球が上手いだけでは決してレギュラーになる事はない。授業を疎かにする選手は練習試合にも連れてもらえなかった。高校野球を教育の一環と捉えた事で香川監督の野球は良い方向に舵をきった

環境

英明は私立高校だが、野球部のグラウンドは非常に狭い。内野がギリギリ取れるくらいの長方形のグラウンドでは割り切ってバッティング練習に力を入れた。外野ノックは併設されている陸上競技場の芝の部分で補った。

守備、走塁練習は練習試合にて磨く事にした。前途した練習試合に連れてもらえない選手は上手くなる事が出来ないという訳だ。英明の練習試合頻度は高く、より多くの実戦で実戦感覚を磨いている

身体づくり

また、豊富な練習試合や夏を乗り切るための身体づくりも徹底して行われている。練習試合が多く、投球回数や、打席に立つ回数が多く、それを支える身体づくりが必須なのである。

英明ではウエイトトレーニングの他に食育にも力を入れている。野球部に協力してくれる定食屋さんで寮生や、通学の希望者は食事が取れる。強力な応援を得て英明は強くなっている。

最後に

様々な苦労を経てたどり着いた英明で香川監督は輝きを放っている。また、寒川時代の教え子の子供が英明に入学してくるという。香川監督にとって、それほど嬉しい事はないだろう。香川監督率いる英明が甲子園で躍動する姿を期待している。

スポンサーリンク




 - 野球