スポーツ情報&応援サイト すぽたま

スポーツをこよなく愛する者が、競技、選手、チーム等の注目した情報を書いていきます。

福井商業野球部、北野監督の挑戦と意志を継ぐ米丸監督

   

最初に北陸に甲子園の優勝旗を持ち帰ったのは敦賀気比だったが、それより以前に一歩手前まで迫ったのが福井の名門、福井商である。福井商は名将・北野尚文監督に率いられ、甲子園準優勝を果たす。その教え子の米丸友樹現監督に意志は引き継がれ福井の高校野球を支えている。そんな福井商について調べてみた。

スポンサーリンク




北野尚文前監督

敦賀高校を卒業後、龍谷大学に進学し、野球部では主将を務めた1968年、福井商に社会科教諭として赴任し、野球部の監督に就任する。1971春の甲子園初出場を果たす。甲子園出場回数は全国最多の36回を誇る。

甲子園では1978春に準優勝1986年夏から8季連続甲子園出場を果たし、全国に福井商の名前を轟かせた。1996夏、2002春にはベスト4に入り、高校野球ファンの中では星稜と並んで北陸の強豪として認識された。

就任当初から目標は全国制覇であったため、厳しい練習を行った。結果、選手が3名だけになってしまった事もあった準優勝後、甲子園6連敗を喫して心が折れそうになった事もあった。しかし、自身の理想を求め過ぎていた指導法を見直し、復活を果たした。福井では敦賀気比工大福井等私学強豪としのぎを削った2010年度をもって野球部監督を勇退、後任を教え子の米丸友樹監督に託した。

エンブレム

福井商には炎のエンブレムがある。それは甲子園初出場の前の年、1970年にさかのぼる。雪国特有の優しい性格の選手達を奮い立たせるため、炎のように燃えろという思いで作られた

そのエンブレムを始めてい付けた選手達は12名の少数ながら福井県予選を勝ち上がると、北信越大会も優勝。見事に春の甲子園の切符を手に入れる事ができた。以来、お馴染みとなったエンブレムにはそういった経緯がある。

あと一歩

初出場から7年後の1978春、福井商は快進撃で勝ち上がる。鹿児島商、前橋(群馬)を破り、準々決勝では津田恒実投手(元広島東洋カープ)擁する南陽工(山口)を倒した。準決勝では、翌年春夏連覇を達成する箕島(和歌山)を圧倒、優勝は確実かに思われた。

しかし、決勝では選手達も北野監督も極度の緊張から本来の力が出ず浜松商(静岡)に敗れて準優勝に終わる。しかし、福井商の活躍は福井県の人達を沸かせた事は言うまでもなく、凱旋パレードまで行われた。

ライバルは星稜の山下智茂監督

北陸にどちらが先に優勝旗を持ち帰るか競った相手が星稜(石川)の山下智茂監督だった。歳は山下監督がひとつ上であるが、同世代のライバルの存在がお互い良い刺激になっていた。

二人共、全国制覇まであと一歩届かなかったが、今でもお互いの意志を継いだ教え子が両校の監督として活躍している。

米丸友樹監督

北野監督勇退後、福井商を率いたのは米丸友樹監督である。米丸監督は福井商時代、主将として活躍した、北野前監督の教え子である。

就任後、2011夏、2013夏と甲子園出場を果たす。2011夏は初戦敗退だったものの、2013夏は帯広大谷(北北海道)、聖光学院(福島)を破り、3回戦に進出している。北野前監督の意志を引継ぎ、全国で戦えるチームを目指している

まとめ

高校野球における福井商の歴史は北野監督の歴史でもあった。しかし、米丸監督が福井商の新たなる歴史を作っていく。エンブレムはそのままの形で残り、選手の左肩で燃えている。時代は変わっても変わらないものがある。それがエンブレムであり、全国制覇という目標である

スポンサーリンク




 - 野球