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波佐見高校野球部、得永健監督 伝統と自立の融合

   

長崎県の波佐見は一人の指導者の出現で高校野球の強豪になった。その指導者とは得永祥男前監督である。前監督亡き後、監督に就任したのがその息子でもある得永健監督である。今回は得永監督について調べてみた。

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経歴

得永監督は父の指導の元、波佐見の主将として活躍。秋季九州大会でベスト4の成績を残したが、同県の海星にコールドで敗れたため甲子園出場を逃した。その後、波佐見のコーチに就任し1996、2001夏の甲子園出場を果たした。

2003年に父が癌のため逝去すると、その後を継ぎ監督に就任した。海星長崎日大清峰の前に甲子園出場を逃していたが、2011年、松田遼馬投手(阪神タイガース)を擁して春の甲子園出場、初戦で強豪横浜を5-1で降した(2回戦0-2加古川北)。2017夏の長崎大会でも公立のライバル清峰を決勝で破って甲子園出場を決めた。

父の功績

得永祥男さんは佐世保工の監督になると、打倒海星に執念を燃やし、春2回、夏2回の甲子園出場を果たした。波佐見に移ったのは1983年、環境整備に苦労したが1996年夏に甲子園初出場を果たすとベスト8まで勝ち進む活躍を見せた。癌に犯されていた2001夏も甲子園出場を果たした。

2003年にこの世を去るまで、佐世保工、波佐見を強豪に育てた他、地元の地域活動に野球部員を参加させるなど地域貢献活動に力を注いだ。「良き野球人たる前に良き高校生たれ」の理念は現在も受け継がれ、波佐見の野球部は地元民からも愛されている。

苦い経験を糧に

前途したが、得永監督は現役時代に選抜甲子園出場目前でその夢を絶たれている。九州大会ベスト4の時点で甲子園出場はほぼ当確だと油断した事がコールド負けを呼び込んだ

2010九州大会、得永監督はベスト4に入るのが目前ではないと選手を鼓舞し、自身初の甲子園を勝ち取った。そして父もなし得なかった春の甲子園での勝利を挙げた。

選手の自立

少なからず偉大な父の後を継いだプレッシャーを感じていた得永監督。当初は父と同じような指導をしていた時期があった。しかし、甲子園への道は遠かった。そこで行き着いたのは選手自身が考える野球である。

作戦を選手達が考え、ほぼノーサインで試合をする。結果、思考能力や判断力が鍛えられ自立した選手が出てくるという。父の築いた伝統と得永監督独自の野球が浸透し始め新しい波佐見野球が完成した。

ライバルの存在

長崎県勢は長らく海星の時代が続いた。智辯和歌山高嶋仁監督も海星出身で甲子園に出場している。その海星を倒そうと得永祥男前監督は奮起した。今や覇権は金城孝夫監督率いる長崎日大、公立で選抜を制した清峰、創成館などが争う戦国時代と化している。

中でも同じ公立の清峰には並々ならぬ闘志を燃やしていた時期もあった。得永監督自身が清峰コンプレックスと語った程である。選手主導のチームになってからはそれほどまで闘志を燃やす事はなくなったがライバルの存在は波佐見にとっても良い影響を与えている事は間違いない。

最後に

長崎県勢はいまだ夏を制した事がない。得永監督の目標はもうそこに向かっているのかもしれない。父もライバル清峰も成し遂げていない夏を制する為、得永監督の挑戦は続く

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