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東福岡高校サッカー部、復活した強さの理由

   

高校サッカー界で赤い彗星と恐れられるのは東福岡である。1997年選手権決勝の雪上決戦、翌年の同一カードでの連覇、2015年の復活優勝など高校サッカーファンにとっては余りにも有名である。プレミアリーグで闘い続け、今なお強さを持続する秘密を探ってみた。

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東福岡という土壌

今でこそ東福岡はスポーツ校として有名である。しかし、最初はどの部活も弱小からのスタートであった。理事長は熱い情熱を持った教職員を集めた。その一人が志波芳則総監督である。

東福岡は生徒約2000人に対し教職員は約160名を誇る。志波総監督と同じ経緯で集められた各指導者は情熱を持って指導し、長い年月をかけてそれぞれの部を強豪に育てあげた。競技は違えど高いレベルの生徒が同じ教室で刺激しあえる事も東福岡の強みである。

志波芳則総監督

日本体育大学を卒業後、福岡県の教職員採用試験を受けた志波総監督だったが結果は不合格。そして東福岡の採用試験に挑んだ志波総監督は理事長に「サッカー部を福岡ナンバーワンにできるか?」と問われ、「はい」と答えたら合格したという。

志波総監督は熱い指導で約束通りサッカー部を福岡王者に育てた。しかし、全国大会では初戦敗退が続き、1994年には名将小嶺忠雄率いる国見に大敗を喫する。それを機に志波総監督の目標は全国制覇に変わった。

S級ライセンス取得

全国制覇を目指して指導を始めた志波総監督はJリーグチームの監督を務める事ができるS級ライセンス取得を目指した。Jリーグの監督がしたい訳ではなく、プロという目標を持った選手を指導する為にはプロを指導できる指導者にならなくてはいけないと考えたからである。

志波総監督がS級ライセンス取得後、チームは高校三冠という偉業を成し遂げた。理事長の蒔いた種が実り、花開いた瞬間だった。次の年も連覇を達成した東福岡。その時は高校サッカー界の頂点に立ち続けるかにみえた。

苦しい時期

2002年、補助金の不適切な使用により志波総監督(当時監督)が解任されるという出来事があり、東福岡の苦しい時期が始まった。そんな時期に監督に就任したのが森重潤也監督だった。

アビスパ福岡の全身にあたるチームでプロ経験のある森重監督は志波総監督と知り合い、東福岡のコーチに就任していた。急遽バトンを渡された森重監督は苦しんだ。県大会を勝つ事も難しい状況にまで追い込まれていた。

プレミアリーグ

東福岡は攻撃的なサッカーで全国を席巻した。しかし、プレミアリーグでJリーグの下部組織と対戦すると、その攻撃が全く通用しなかった。奇しくもこのプレミアリーグ参戦が森重監督の転機となった。

J下部組織の選手に比べ、技術、メンタル、フィジカルと足りない部分を痛感、中でも守備の重要性を見いだした森重監督は守備を強化した。年間通して高いレベルのチームと闘い続け、トップリーグに残留し続ける事で東福岡は輝きを取り戻していった

盟主

今や、市立船橋青森山田東福岡は高校サッカー界の盟主と言っていい。3チームに共通するのはプレミアリーグで闘い続けているという事である。年間通して闘い、常に高いレベルを保っている。一発勝負のインターハイや選手権よりも価値のある事のように思える。

そんな盟主達の牙城を崩さんと、前橋育英米子北流経大柏も力を付けてきている。高体連のチームとJ下部組織が共存するプレミアリーグにこそ、そのチームの本当の力が現れると私は考えている。

最後に

志波総監督と森重監督が言っていた、学校、指導者、選手、保護者が全国制覇に向けて同じベクトルを持って挑めるのが東福岡の強さだと。そこに東福岡という学校の魅力が詰まっているように感じる。これからも東福岡の活躍を期待している。

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