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イチローを覚醒させた伝説のセカンドゴロ

   

日米通算4000本安打を達成して、野球殿堂入りも確実視されているイチロー選手。イチロー選手は走攻守どれをとっても超一流なのは言うまでもないが、今回は打撃にスポットをあててみたい。イチロー選手が打撃が覚醒した瞬間があったという。それははた周りから見ると単なるセカンドゴロだった。このセカンドゴロにつながる経緯と、どうして覚醒に至ったか探っていきたい。

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シーズン最多安打以降

プロ入り3年目の1994年に当時のシーズン最多安打である210本の安打を記録する。それは前年に当時2軍打撃コーチの河村健一郎氏と「振子打法」を完成させたことに起因する。

しかし、それ以来イチロー選手は不調に落ちいることになる。不調のシーズンは1995年から1998年とされているが、その間でもイチロー選手は首位打者を獲っており、周囲はなにが不調だったかわからない。

しかし、イチロー選手は半分の力も出せていなかったという。それはイチロー選手にしかわからない理想のフォームとのズレがあったということであるが、正直、私には到底理解しえない領域の話だろうと思う。イチロー選手の幾年にも及び、繰り返された反復と努力の賜物なのである。

1999年4月11日

ナゴヤドームでの西武ライオンズ戦でそれは起こった。第5打席、西崎幸弘投手にセカンドゴロに打ち取られた。前途したように私から見れば普通のセカンドゴロなのである。

しかしイチロー選手は自分がヒットになると思った理想のスイングと凡打に終わった現実のスイングズレをホームから一塁に走っているうちに修正してしまったという。凡打に終わりながらも確かに掴んだ答えに思わずにやけてしまったというイチロー選手。本人にしか分からない安心感があったのだと思う。

十分それ以前でも活躍しているのであるが、そのセカンドゴロをきっかけに打撃の面で自分の納得できる答えが見つかったイチロー選手。2001年にメジャーに挑戦すると、10年連続でシーズン200本安打を放つなど前人未到の記録を残すことになる。

イチロー選手から学ぶこと

イチロー選手は常に自分の理想のイメージを持っていた。そのイメージが明確だったからこそ、1本のセカンドゴロでの修正に至ったわけである。

また、セカンドゴロという失敗から答えを導き出している。失敗から学ぶことは多くあるが、成功のイメージがしっかりできていないとそれはただの失敗である。失敗を成功のための経験にするためには常に成功するイメージを明確にしていく必要がある。

また、失敗するためにはチャレンジすることが不可欠である。イチロー選手も振子打法から現在のフォームに変えるなど、今に至るまで、大小さまざまな数えきれないチャレンジを行っているはずである。

おそらく語られていないだけで、ナゴヤドームでのセカンドゴロのような体験を繰り返しているのではないだろうかと思う。これはあくまで私の想像でしかないが。

これはスポーツの世界でも日常生活でも共通することのように思う。問題を常に意識して考えながら努力することによって新たに気づくことがあり、自分で解決できるようになるのである。そういった問題解決能力がイチロー選手は突出しているのではないかと思う。

最後に

イチロー選手はマーリンズから「居たいだけいてほしい」という最大級の評価を受けている。結果だけでなく、今までやってきたプロ野球選手としての取り組みが評価されたのだと思う。若手選手はイチロー選手からプロ意識を学ぶことができるし、イチロー選手も若手に負けじと奮起するであろう。本人の意思とは別にイチロー選手の活躍をいつまでも見ていたいと思うのは私だけではないだろう

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