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関東一高野球部、米沢貴光監督の甲子園への道

   

東京の高校野球と言えば帝京、日大三がまず浮かんでくると思うが、その2校の影響を受け、強くなったチームがある。それが関東一である。率いる米沢貴光監督は高校時代は日大三小倉全由監督(当時・関東一監督)に学び、監督になってからは同じ東東京地区の帝京の立ち振る舞いを学んだ。そんな米沢監督と関東一の歩みを紹介していきたい。

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米沢監督の経歴

高校時代は関東一に入学、2年の秋から小倉監督(現・日大三監督)に指導を受ける。高校時代は甲子園には出場できなかった。卒業後は中央大学に進学、東都大学リーグでプレーした後、社会人野球のシダックスでプレーした。

2000年、関東一の監督に就任すると、2008春の甲子園に監督として初出場。1回戦で敗退するも、2008夏にも連続出場を果たし常総学院(茨城)、鳴門工(徳島)に勝利し3回戦に進出した。2010年夏の甲子園では3回戦で早稲田実(西東京)との東京体対決を制してベスト8に進出を果たす。2012春は準々決勝で強豪横浜(神奈川)に競り勝ちベスト4に進出する。記憶に新しい2015夏ではオコエ瑠偉選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)等の活躍でベスト4に進出した。

甲子園に出れば良い結果を残している米沢監督だが就任から初出場までは苦しい時期があった。米沢監督はそんな時期でも名将や恩師、強豪チームから学び、チームを強くしていった

低迷期に監督就任

小倉監督が離れてから関東一は低迷期を迎えていた。そんな中、米沢監督に監督就任の話がきた。2000年の就任当初は選手の意識の低さに戸惑う毎日であった。自分達の時とは違う選手達の雰囲気、どうしたらこの選手達をやる気にさせられるかを考えた米沢監督。そして、ある名将を参考にした。

米沢監督が関東一の監督に就任した年、圧倒的な打撃で甲子園を制した智弁和歌山高嶋仁監督。高嶋監督は智弁学園の監督をしていた時に、自らの思いが先行して厳しい練習をしたため、選手達に練習をボイコットされた過去がある。反省し、自分の甲子園に対する思いや、その甲子園に選手達を連れて行きたいという思いを選手達に全て打ち明けた。結果、選手達はついてきてくれるようになった。

米沢監督は、どうしてこの練習をするか、今なにが必要か、言葉でしっかり選手達に伝えるようにした。意識改革に成功した関東一は徐々に力をつけていく。

師弟対決

意識改革から一冬を越え、成長したチームは春の東京大会でベスト8に進出。対戦相手は小倉監督率いる日大三だった。序盤こそ押し気味だったものの、日大三の強力打線に捕まって終わってみれば0-7の大敗だった。試合後に恩師は米沢監督に監督の一言やフォローの言葉の重要性を説いた小倉監督率いる日大三はその夏に全国制覇を果たした

高嶋監督、小倉監督から言葉の重要性を教わった米沢監督は大学のメンタルトレーニングの講習にも行った。緊張した場面で選手達に何を言ってあげればいいのか、心理面のコーチングを学んだ。

甲子園初出場

監督就任から7年が経ち、甲子園出場はならなかったものの、守備からリズムを作り、機動力を絡めた攻撃で関東一は存在感を示していた。2007夏東東京予選、準決勝、帝京との大一番3-7(7回雨天コールド)という残酷なものだった。選手たちは当然悔しがった。中には帽子を叩き付けて悔しがる選手もいた。

米沢監督は帝京のベンチに目がいった。喜ぶ場面でもあると思うが、選手も前田三夫監督も綺麗に整列して頭を下げていた。そんな敗者を敬う姿勢に差を感じたこれが全国の強豪の姿なんだと米沢監督は学んだ

※前田監督にもそれに至るまでのエピソードがあります。
(帝京・前田監督の記事はこちら)

新チームになり、米沢監督は帝京の立ち振る舞いと、自分達の未熟さを選手達に説いた。以来、選手達はみるみる内に変わった。そして秋の東京を制して甲子園の切符を手に入れるのである。

失敗や敗戦から学び強くなる

米沢監督の関東一は敗れるたびに、失敗するたびに大きな何かを得て強くなっているように思える。2016春は初戦敗退に終わったが、甲子園から何かを学んで強くなっているに違いない。チーム力、立ち振る舞いや監督の力はすでに全国トップクラスだと思うが、更に進化した関東一を見てみたい。関東一と米沢監督のこれからの活躍に期待している

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