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駒大苫小牧野球部、佐々木孝介監督の復活への挑戦

      2016/07/01

北海道に初の甲子園大会優勝をもたらした駒大苫小牧。当時、主将としてチームを全国制覇に導いた佐々木孝介現・駒大苫小牧野球部監督。全国トップレベルから低迷期を経て、久しぶりの選抜出場、復活に向けた取り組みに迫った。

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佐々木監督の経歴

佐々木監督は小学生の時に野球を始め、中学生で地元のリトルシニアでプレー。主将としてチームを全国大会へ導いた。駒大苫小牧では1年生からレギュラーを獲得。2年生の春と夏に連続で甲子園に出場する。

2年生での甲子園大会で勝利することはできなかったが、その経験が活きた。特に夏の1回戦・倉敷工戦、四回まで8点をリードしながらも雨天中止となり、翌日の再試合にて敗れた。その悔しさを胸に1年間鍛え上げ、主将としてむかえた最後の夏の甲子園で北海道勢初の全国制覇を成し遂げる。

駒澤大学に進学、3年生の時から学生コーチを経験する。母校の駒大苫小牧が甲子園に出場する際は臨時コーチとして同行した。大学卒業後、母校に帰って野球部のコーチに就任、2009年7月に監督に就任した。そして、2014年春の甲子園に久しぶりに出場を果たす。

低迷期

駒大苫小牧は2006年、田中将大投手を擁して夏の大会で準優勝を果たした翌年も、優勝候補として夏の甲子園に出場した。その初戦にて広陵高校に逆転負けしてから、甲子園から遠ざかった。その大会を最後に香田誉士史・当時監督が辞任したことも低迷の大きな要因であると思う。

香田監督が去って丸2年後に監督に就任した佐々木監督。当時は選手の勝利に対する執念の無さに危機感を感じたという。甲子園から遠ざかるにつれ、部員数も減り、とにかく、何とかして5年のうちに甲子園出場という目標を立てた。

5年目の2013秋季北海道大会にて優勝を果たし、2014春の甲子園出場を決めた。その5年間で夏の決勝で敗れること2回。悲願の甲子園出場だった。甲子園でも初戦を突破し、監督として甲子園初勝利も達成した。

選手の個性を理解

佐々木監督はノーサインで試合を行う事がある。選手達に考えさせる意図があると同時に、選手が出すサインからその選手の個性を見抜く努力をしている。また、選手一人ひとりの野球ノートをまんべんなくチェックし、選手の考えや個性を理解した上で個別指導に活かしている。

全員で戦う姿勢

夏の暑い季節での戦いは過酷である。それは佐々木監督も自身の経験からよく理解している。選手層の厚さは必要不可欠である。一時期、少なくなっていた部員数も100人を超え、チームを三つに分けて、指導者5人で指導にあたっている。

ベンチ入りできる選手は予選で20名と決まっており、3年生全員がベンチに入る事はできないが、練習や、練習試合で気になったことを相手目線で指摘し合うなど、全員で戦うという事を意識させている。

プレッシャーとの戦い

駒大苫小牧という名前を背負っている時点で選手達はプレッシャーを感じていると思う。しかし、そのプレッシャーから解放された時にすごい力が出る事を佐々木監督は知っている。

もちろん、厳しい練習を乗りこえ、実力と自信がなければ発揮されない力だとは思う。佐々木監督は現役時代2年生の雨天中止再試合での敗戦後、甲子園での初戦突破を目標に全てをかけて練習してきた。その初戦に勝って、プレッシャーに打ち克ったあとは、全員信じられないくらいの力を発揮して強豪を次々に倒して優勝を果たした。

その経験もあり、プレッシャーをかけつつもレクリエーションなどで気分転換をはかり、プレッシャーとうまく付き合う指導を行っている。

まとめ

駒大苫小牧の野球は見ていて爽やかさを感じる。四死球で塁に出る時はバットをそっと置いて、右打者の場合は審判の後ろを通って塁に走っていく。キヤッチャーからピッチャーへの返球へのカバーも実にキビキビしている。駒大苫小牧を見本に指導してきた指導者も居ると思う。そんな駒大苫小牧と佐々木監督の野球を甲子園で見たい

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