スポーツ情報&応援サイト すぽたま

スポーツをこよなく愛する者が、競技、選手、チーム等の注目した情報を書いていきます。

長崎総合科学大学付属高校サッカー部、小嶺忠敏監督の変わらない目標

   

高校サッカー界において知らない人は居ないであろう小嶺忠敏さん。現在は長崎総合科学大付属高校サッカー部の監督を務めている。島原商、国見を率いて全国制覇を果たした小嶺監督に迫ってみた。

スポンサーリンク




経歴

小嶺監督は長崎県出身で中学時代はバレー部に所属していたという。島原商でサッカーを始め主将として活躍、自身は九州選抜チームに選出された。大阪商業大学に進学するとチーム躍進の立役者となる。この縁あってか小嶺監督時代の島原商のユニフォーム、国見のセカンドユニフォーム、長崎総合科大付のセカンドユニフォームは大阪商業大学カラーである。

大学卒業後、母校島原商に赴任、同時にサッカー部監督に就任すると1977年にインターハイを制した1984年に国見に移るとサッカー部をインターハイ5回、全日本ユース2回、選手権6回全国の頂点に導いた。もはや高校サッカー界の生きる伝説である。

厳しさと優しさ

三浦淳宏さんや大久保嘉人選手など日本を代表する選手が口を揃えるのは、「国見の練習が一番厳しかった」というものである。当時から国見は日本一厳しい練習をしていると言われており、選手達はそれを覚悟の上で国見に入学し、日本一を目指していた。モチベーションが半端ではない。だからこそ乗り越えれたのである。

そして小嶺監督は遠征の際、自ら運転するバスで移動した。全国各地を飛び回るハードスケジュールでも、選手達が眠りこける中でもハンドルを握り続けた。全てはチームを日本一にするという想いからである。そんな想いが選手達には伝わっていたのだろう。

はっきりしている

小嶺監督はピッチ上でやってはいけない事がはっきりしているという。それが守れない時はそれはもう大変である。決まり事は多いがそれがはっきりしている為、選手は動きやすい。それが圧倒的な運動量にもつながっている

サッカーをプレーした人なら解ると思うが相手にペースを握られて走らされている時の体力の消耗は半端ではない。しかし、自分達の思い描くプレーが出来ている時は劣勢でも身体が動くものである。やる事をはっきりさせるという簡単なようで難しい事を徹底しているのが小嶺監督の大きな特徴である。

フィジカル

国見の選手達も長崎総科大付の選手達も強靭なフィジカルが特徴的だった。さぞかしウェイトやフィジカルトレーニングで鍛え込んでいるかと思いきや、そういったフィジカルトレーニングは週に一回程度だという。

ではなぜ強靭なフィジカルが磨かれたかというと、毎日行われる早朝のトレーニングがあったからである。一対一の個人技を磨くトレーニングをひたすら行う事によって、身体の入れ方やボールの置きどころなどを身体に染みこます事でフィジカルが強くなっていったのである。

円熟

小嶺監督は若い頃、自分に反抗してくるような選手はダメだと決めつけていたという。しかし、今やそんな選手でも根気強く指導できるようになって、その選手が活躍する事も増えてきている

経験を重ねて解ってきた事も多く、それが根気強い指導にもつながってあるという。70歳をこえてもなお、目標は日本一のチームを作る事である。小嶺監督の挑戦は終わる事がない。

最後に

小嶺監督の教え子も監督になり、全国の舞台に顔を出している。前橋育英の山田耕介監督との師弟対決もあるかもしれない。非常に楽しみである。小嶺監督のこれからも注目して見ていきたい。

スポンサーリンク




 - サッカー