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興南高校野球部、我喜屋優監督の人間力野球

   

沖縄県勢で初の夏の甲子園制覇、史上6校目の春夏制覇を成し遂げた興南高校野球部。就任わずか3年でこの偉業を成し遂げた我喜屋優監督とはどのような人なのか、またどんな指導をするのかを探ってみた。

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我喜屋監督の経歴

興南高校3年生の時、1968年夏の甲子園に主将として出場。それまで甲子園で一勝しか挙げられていなかった沖縄県勢の負の歴史に終止符をうつ活躍を見せ、ベスト4まで進出を果たす。準決勝では敗れたが、「興南旋風」を巻き起こし話題になった。

社会人野球に進んだ4年目に北海道の大昭和製紙北海道に入団。年対抗野球で北海道勢初の全国制覇を成し遂げる。引退後も同チームの監督として活躍、指導者として経験を積む。

2007年、母校の要請を受け、興南高校野球部監督に就任。そのわずか3年後の2010年の春と夏の甲子園で圧倒的な強さをみせ、史上6校目の連覇を果たした

逆境に負けない練習

社会人野球では雪国北海道でのプレー・指導だった。冬場はグラウンドに雪が積もって屋内での練習が多くなる北海道のチームが多い中、できる限り外での練習を行った。

雪を退かしての練習。これは後に夏の甲子園連覇を達成する駒大苫小牧の香田誉士史監督(当時)も我喜屋監督に教えてもらって取り入れた練習である。

沖縄県に帰った後、梅雨の長い沖縄の風土にも対応し、雨合羽や長靴でグラウンド練習を行った。とにかく我喜屋監督は「○○があって練習が出来ない」などを非常に嫌い、様々に対応してみせる。甲子園では多少の雨でも試合がある。甲子園を目指す強豪校にとって、雨中の練習は最早当たり前になってきている。

野球を通した人間教育

我喜屋監督は高校野球の監督を打診されたとき、あまり気が進まなかったという。それは、高校野球となると、自然に目標が甲子園出場となるために勝利が優先されてしまう事を恐れたからである。

私学の強豪校ともなれば、学業はそこそこに野球にばかり力が入ってしまうケースも見られる。我喜屋監督はこれを嫌った。高校年代における人間形成の大切さを我喜屋監督は理解している。

社会人野球の監督の際、野球は上手いが人間としての力が足りない選手をたくさん見てきた我喜屋監督。「野球バカ」にはなってもらいたくないと、野球を通した人間教育に最も力を入れている。

寮監として

選手達の生活習慣を正すため、自ら夫婦で寮に住み込み、選手達と寝食を共にしている

監督就任当時、荒れていた寮も綺麗になり、よく寝て、よく食べるという当たり前の事ができていなかった状態を改善した。

とりわけ、朝の散歩には拘り、近所のごみ拾いも指導せずとも当たり前のように出来ている。身体をしっかり起こして朝食を摂ることで1日のリズムが作れるのである。

まとめ

我喜屋監督の今後の目標は教育者として世界に通用する人材を育成することだという。今後、野球部で育った人間が「先生、僕は今こんなことしています。」と胸を張って言いに来てくれることを楽しみにしているという。そして、補欠で野球を終えた生徒が社長になるなど、人生の逆転劇も見てみたいという。我喜屋監督の夢は続く。

春夏連覇後も興南高校は活躍を続けている。たとえ、甲子園に出れなくても、プロに行けなくても、興南高校野球部のOBであれば非常に明るい未来が待っているように思える。我喜屋監督の指導を調べていくにつれて強くそう感じた。興南高校のこれからの活躍を応援していきたい

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