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広陵高校野球部、中井哲之監督が慕われる理由

   

広島県の名門、広陵高校を率いる中井哲之監督。教え子にはプロ野球選手が数多くおり、選手育成に定評がある。また、中井監督は選手に非常に慕われており、部員も毎年100人を越える。そんな中井監督について調べてみた。

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経歴

中井監督は広陵高校に入学、1980春夏連続で甲子園に出場。一番バッター俊足の内野手として活躍。春はベスト4、夏はベスト8に進出した。中井監督も俊足を活かした盗塁を何度も決め、チームの躍進を支えた。卒業後は大阪商業大学経て1985年に母校・広陵高校の野球部コーチに就任。

1990年春、27歳の若さで監督に就任。上下関係等の野球部の改革に着手し、就任わずか1年で1991春の甲子園で広陵を65年ぶりの優勝に導いた。2003春には西村健太朗投手(読売ジャイアンツ)、白濱裕太選手(広島東洋カープ)、上本博紀選手(阪神タイガース)を擁して再び全国制覇した。

2007年夏の甲子園では決勝まで進出。広陵が過去に2度挑むも果たせなかった夏の全国制覇に王手をかけたが、決勝戦の佐賀北高戦でエースの野村祐輔投手(広島東洋カープ)が押し出し四球の直後に逆転満塁本塁打を浴び、準優勝に終わった。

学生指導員

100人を越える部員をまとめるのは容易ではない。そんな中で活躍するのは学生指導員である。学生指導員は3年生を中心に自ら立候補してその役に就く1年生の技術指導、生活面の指導、メンタルのケアまで行うという

中井監督就任前は非常に厳しい上下関係があったという。中井監督はそんな上下関係を緩和する改革をはじめ現在に至る。家族のようなチームを目指す広陵にとって学生指導員は兄のような存在なのだと思う。

1年生の時に学生指導員の世話になった事がきっかけで、3年生になった時に学生指導員に立候補する選手もいる。広陵は選手達が良い伝統をしっかり理解して、守り継承していっているのが分かる。

チームは家族

前途したが、広陵は家族のようなチームを目指している。その意識は選手達にも浸透しており、広陵の団結力の強さ、チームの強さを支えている。選手達は全員寮で生活を共にしており、その中でお互い理解を深めている。レギュラーを決めるのは中井監督ではなく、自分達をしっかり理解している選手達だという。

父親である中井監督は選手達を本気で自分の息子だと思って指導しているという。その中で野球だけできる子どもはいらない。」と野球以外の人間教育に力を入れる世の中に必要とされる人づくりを目標に日々指導にあたる。

強い父、中井監督

2007夏を私は忘れられない。佐賀北高校の全国制覇に沸いた夏だった。その中で涙にくれたのが広陵の選手達である。8回まで4リード、全国制覇は目の前だった。前途したように8回裏に悲劇は起きた。正直、素人目から見てストライクと思えるボールもあった。明らかに野村投手、小林誠司捕手(読売ジャイアンツ)は動揺していた。

押し出し直後に逆転満塁本塁打を浴びて広陵は敗れた。選手達はさぞ無念だっただろう。息子達の無念を近くで見ていた中井監督は公の場で審判に対して意見した。指導者としてやってはいけない事と理解していたが、中井監督は息子である選手達の言葉を代弁した。いかなる処分もうけるつもりだった。(処分は厳重注意)

結果が変わる訳ではないが、自分の立場が危うくなるのもいとわず、立ち向かう中井監督を見て、選手は泣いたという。そんな強い父親・中井監督を選手もOBも慕っているのである。

まとめ

今でも合宿や試合にはOBが訪れるという。プロ選手も近くに来たら挨拶に寄ったり、食事に行ったりしているという。また、指導者になったOBが新しい練習メニューを提案しに来るという。そんな慕われる中井監督のもとに、毎年100人を越える選手たちが集まってくるのも納得できる。広陵が甲子園に戻ってくることをOB達も心待ちにしていることだろう。広陵・中井ファミリーの活躍を心から期待している

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