スポーツ情報&応援サイト すぽたま

スポーツをこよなく愛する者が、競技、選手、チーム等の注目した情報を書いていきます。

智弁学園、小坂将商監督の挑戦

   

2016春の選抜高校野球大会で初優勝を果たした智弁学園(奈良)の小阪将商監督。小坂監督の経歴と、全国制覇に至るまでの道のりを調べてみた。

スポンサーリンク




経歴

和歌山県の那賀中学校を卒業した小阪さんは、当時から和歌山の盟主として君臨していた智弁和歌山に行こうと決意するも叶わず、失意の底にいた。そんな小阪さんに声をかけたのが奈良の智弁学園だった。

悔しさを胸に努力し、高校3年生の時には主将として夏の甲子園に出場。準々決勝ではPL学園を降し、ベスト4に進出した。準決勝では山本省吾投手(元・福岡ソフトバンクホークス)擁する星稜に敗れた。

法政大学に進学し、安藤優也投手(阪神タイガース)らと共にプレーした。在学中に三度の東京六大学野球リーグ制覇を経験し、4年生の時には主将に指名され、リーグのベストナインを獲得した。

大学卒業後、地元、関西に帰って社会人野球で5年間プレーした後、2005年1月に母校智弁学園の野球部コーチに就任した。

智弁学園野球部監督として

2006年4月に監督に就任し、翌2007年の夏の甲子園に出場、2回戦で仙台育英の佐藤由規投手(ヤクルトスワローズ)を打ち崩して三回戦に進出した。

2011年夏の甲子園では横浜高校相手に九回表、3点差で負けていた状態から一挙に8点を奪い大逆転。名勝負の記憶を残すとともにベスト8入りを果たした。

記憶に新しい2016年春。準決勝の平安、決勝の高松商と連続でサヨナラ勝ちし、智弁学園と小阪監督自身初となる全国制覇を達成した。

智弁和歌山の存在

小阪監督自身も入学を志し、多くの高校野球ファンからも親しまれている智弁和歌山の存在が小阪監督を悩ませた事もあった。比較され、選手、スタッフともに悔しい思いをしてきたという。

「智弁和歌山に対する思いはずっとありました。それは僕だけではなく選手もスタッフもです。智弁と言えば和歌山というイメージが出来上がっていて、いろんな場面で悔しい思いをしてきました。でもその気持ちが大きな力になったというのは確かです。」

小阪監督は現役時代、智弁和歌山の高嶋仁監督のもとで野球をやることしか考えてなかったという。それは実現しなかったが、甲子園での智弁対決があるかもしれない。今から非常に楽しみである。
(小阪監督就任前に1度智辯対決があり(2002年夏)その時は和歌山が勝利している)

部員数を若干増やす

智弁学園と智弁和歌山は共に少数精鋭である。智弁和歌山は1学年10人から11人と決まっている。智弁学園も同様であったが小坂監督の考えで約15人にしている。

それはケガ人が出ると手薄になる事と、上級生になれば試合に出れるという甘えをなくし選手同士に競争させる意図である。

全国制覇を意識

選抜出場が決まってから常に全国制覇を意識して練習に励んできた。その意識が追い込まれても跳ね返す精神力を育んだ。

高校生と言えばもちろん技術も大変重要であるが、メンタルの占める割合が極めて高い。「全国制覇」を意識して練習することで、負けられないをいう意識が芽生え、智辯学園を日本一に導いたのは間違いない。

まとめ

小阪監督はまだ若く、これからもどんどんキャリアを積み重ねていくと思う。奈良にはライバル天理もいて、いつも甲子園とはいかないかもしれないが、毎年強力なチームをつくって我々高校野球ファンを熱くさせてくれる事は間違いない。今度は夏の甲子園制覇を目指して、小阪監督の挑戦は続く。

スポンサーリンク




 - 野球