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東海大甲府野球部、村中秀人監督の指導

   

近年、山梨の高校野球をリードする東海大甲府。高橋周平選手(中日ドラゴンズ)を筆頭に強打者を育成して、甲子園の常連になりつつある。率いるのは村中秀人監督。甲子園初出場までの道のりとその指導に迫ってみた。

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経歴

高校は東海大相模高校に進学。原貢監督(当時)の指導のもと、左腕エースとして夏の甲子園に3回、春の甲子園に1回出場を果たした。同期には原辰徳氏(元・読売ジャイアンツ)がいて、当時のコーチは村中監督が就任する前の東海大甲府監督の大八木治氏であった。

東海大学に進学、野球部では外野手にコンバートされ活躍、卒業後は社会人野球のプリンスホテル野球部に所属した。現役引退を期に1988年より母校の東海大相模高校野球部の監督に就任した。

1992春の甲子園に出場、PL学園、天理と関西の強豪を倒して決勝に進むも前田三夫監督率いる帝京に敗れて準優勝1995春の甲子園にも出場したが2回戦で優勝した観音寺中央に敗れた。夏の甲子園横浜桐蔭学園の壁に阻まれ出場機会はなかった。

1999年に東海大甲府高校野球部の監督に就任。4年後の2003年、監督として悲願の夏の甲子園に出場を果たす。翌2004年にも2年連続となる夏の甲子園出場を果たす。後に代名詞となる強力打線で勝ち進み、準決勝進出。優勝した駒大苫小牧に敗れたが、山梨県勢として2度目となるベスト4という成績を残した。

その後は山梨学院大附日本航空高校、公立勢に甲子園出場を阻まれていたが2012夏の甲子園に出場を果たすと自身2度目となるベスト4に進出した。それからは2014夏、2015夏、2016春に出場し、甲子園の常連となっている。

生活からの見直し

村中監督は前途したようにプリンスホテルで働いていた時代があった。そんな中でホテルマンとして営業や清掃まで、感謝と奉仕の心を学んだ。東海大甲府に来た当初はひどい有様であったという。基礎練習をしっかり行うには生活態度の改善が必要だと感じた

村中監督はグラウンド整備や、寮の清掃の指導からはじめた。普段野球をさせてもらっている、生活させてもらっている場所に感謝の気持ちを持ちを込めて徹底させた。練習も基礎からしっかりと指導し、選手達は引退する頃には野球も人間的にも立派に成長していた。

食育

村中監督は食べて身体を大きくする為、食育にも力を入れる。『食べて走る』合宿もあるそうだ。最初は米何キロとノルマがあったそうだが、今では選手の自主性に任せている。

村中監督自身も現役時代に恩師の原貢監督にとにかく食べるように指導された。次第に身体が大きくなるにつれ球速や打撃力が向上していくのが解った。自身が効果を確信した上で今の選手達にも食事の大切さを説いている。

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ヒントだけ与える

村中監督は2004夏以降、結果が出ない時期があった。ある時、自分が教え過ぎていることに気づいた。教え過ぎると、かえって選手は迷ってしまう。村中監督はヒントだけ与えて自分で壁を乗り越えさせる指導に切り替えた。

そんな努力が身を結びはじめ、2012夏の甲子園に8年ぶりに出場すると龍谷大平安(京都)、作新学院(栃木)等の強豪を撃破し、ベスト4に進出した。以降は安定した結果を残している。

打撃力の向上

東海大甲府の特徴問いえば、その打撃力である。村中監督はダウンレベルスイングを指導している。ダウンスイングならファールになりやすく、レベルスイングでは硬式のパワーに負けてしまうという。

動画などで自分のスイングを見せながら比較して指導する。それにより選手はイメージしやすく、伝わりやすいという。また、ビジョントレーニングという眼球を動かして視野を広げ鍛える独自のトレーニングで目を鍛えている。そんなトレーニングが東海大甲府の打撃力を育んでいる。

まとめ

村中監督は自身の歩んできた経験の中からヒントを得て指導し、結果を残してきた。選手達も課題を自分で乗り越える事で自信を得て成長しているのだと思う。これは野球だけではなく、社会に出ても必要な力である。東海大甲府の選手達がどこか大人びて見えるのは精神的に自立した選手達やからであろう。悲願の全国制覇にむけて、これからの活躍に期待したい

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