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箕島高校野球部、尾藤強監督の挑戦

   

高校野球において、過去春夏連覇を達成した高校は7校だが、公立の高校では和歌山の箕島が唯一である。
その箕島を率いるのは、箕島を春夏連覇を含む4度の全国制覇に導いた尾藤公元監督の長男、尾藤強監督である。プレッシャーも大きかっただろうと思うが、自分も父も愛した母校のために立ち上がった尾藤強監督の経歴と、監督としての道のりを調べてみた。

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経歴

箕島高校に入学、父・公監督の指導のもと、野球部として汗を流す。1986夏の和歌山予選では2年生エースとして決勝まで進むも、桐蔭に逆転で敗れ、甲子園に行く事はできなかった。その試合後、公監督は試合中に1度だけ「強」と叫んでしまった事を悔やんだ。(野球部員でいる時は「尾藤」と呼んでいた)監督から父になってしまった事が敗戦の原因だと語っている。

卒業後、法政大学に進学したが中退して社会人となる。1996年に和歌山に戻り、会社員として働きつつ、社会人野球チームの選手として活躍していた。

2012年から会社勤務をしながら箕島高校の野球部コーチに就任すると、周囲の強い後押しもあり、翌年2013年に監督に就任した。監督に就任して間もない2013夏の和歌山予選で優勝し、29年ぶりに夏の甲子園に出場した。開会式の入場の際、割れんばかりの拍手が球場を包んだ。(1回戦2-4日川)

2011年3月に尾藤公元監督が逝去しており、尾藤強監督が率いた箕島の甲子園出場は私にとっても感慨深いものがあった。

コーチ就任

2012夏、会社員の傍ら、箕島高校のコーチに就任した。夏の予選も早々に敗退し、後輩の事が気になっていた。まず取り組んだのは選手達の精神面の指導だった。挨拶をはじめとする礼儀については厳しく指導した。自分達が野球が出きる環境や支えてくれる人に感謝する事の大切さを説いた

練習も今の選手達が集中出来るようにと工夫した。「27アウト」と呼ばれる練習はみんなで試合終了まで必要な27個のアウトを連続でとるまで行われるノックである。1度でも途切れると最初からやり直し。厳しい中にも楽しみがあり、チームに集中力と粘り強さが生まれた。迎えた秋季大会では和歌山王者の智弁和歌山相手に敗れるも善戦し、手応えを掴む

監督就任と甲子園出場

一冬を越えて更に強くなった箕島は春の和歌山大会で優勝を果たし近畿大会に出場する。奈良の強豪・智弁学園相手に9回もでに3点のリードを許すも驚異の粘りをみせ同点に追いつく。延長で力尽きるもそれはかつての箕島が見せたような粘り強い野球だった。

尾藤監督も選手と共に楽しみ戦う野球で夏の予選も勝ち上がり、決勝ではこの年に勇退する井戸大志監督率いる南部を破りなんと就任すぐに監督として甲子園初出場を決める。箕島復活、監督は尾藤公監督の息子というニュースは全国の高校野球ファンを沸かせた。

これからが勝負

甲子園には出場したものの尾藤監督にとってはそれからが勝負である。幸い甲子園での活躍をみた1年生が大勢入部してきてくれた。その1年生が中心となったチームで2014秋の和歌山を制し、近畿大会に出場。一回戦を突破し選抜出場の期待が高まったが残念ながら出場はならなかった。

しかし、更に箕島で野球がしたいという部員は増え続け、力もつけてきている。箕島のこれからの活躍が楽しみである。

まとめ

和歌山予選を勝ち上がるには、どうしても乗り越えなければいけない壁がある。高嶋仁監督率いる智弁和歌山である。奇しくも高嶋監督が智弁和歌山に来た時、立ちはだかったのは尾藤公監督率いる箕島だった。2015夏の和歌山予選では準決勝で対戦、智弁和歌山が勝った。これからも凌ぎを削っていく相手であることは間違いない。

歩みだしたばかりの新生箕島。しかし尾藤監督の野球が浸透しつつある。和歌山の公立の雄、箕島の存在は今でも際立っている。箕島が甲子園で戦う姿を見たい、そして甲子園で校歌が聞きたい。私はこころから箕島を尾藤監督を応援している

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