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日大三高野球部、小倉全由監督と選手の絆

   

高校野球の監督として甲子園で優勝2回、準優勝2回という輝かしい記録を誇る日大三高野球部の小倉全由監督。大学在学中から志した監督人生の中で一度はその道を外れながらも、最強とも呼べるチームを作って全国制覇を成し遂げた小倉監督に迫ってみた。

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経歴

日大三高に入学し、内野手としてプレーするが、レギュラーを勝ち取る事はできなかった。系列の日本大学に進学、野球部には所属せず、この頃からすでに高校野球の指導者を目指して学業の傍ら母校でコーチをしていた。

大学卒業後、すぐに関東一高の野球部監督に就任する。1987春の甲子園では準優勝を果たす。甲子園で好成績を残すと周囲の期待も増す。そんな過度な中、小倉監督は甲子園を逃し1988年、成績不振を理由に監督を辞任する。

1992年に監督に復帰1997年には母校・日大三高の野球部監督に就任する。2001夏の甲子園では圧倒的な打撃力で全国制覇を果たす。2010春も山崎福也投手(オリックスバファローズ)を擁して決勝まで進むが島袋洋奨投手(福岡ソフトバンクホークス)要するに興南(沖縄)の前に延長戦で屈した。2011夏の甲子園では高山俊選手(阪神タイガース)等の活躍で自身二度目の全国制覇を果たしている。

素振り

日大三高の特徴はやはりその打撃力だと思う。そんな打撃力を培うために重要視しているのは素振りだという。

日大三高では難しいコースの打ち方はあまり教えない。重視するのは打てるコースのボールを確実にとらえる事である。そのためには正しいスイングを身に付けなければならない。そこで素振りが活きてくるのである。素振りで正しい振り方、肘の使い方を身につけてからボールを打つようにしているという。

冬の合宿

小倉監督が関東一高時代から行っているのが冬の合宿である。12時間程の過酷な練習が2週間続く。早朝5時半から恒例の12分走が始まりベッドに入るのは23時くらいになるという。

12分間走は常に昨日の自分の記録を上回らなくてはいけないそして一緒に走る小倉監督を二度追い抜かなくてはいけない。その直後に塁間ダッシュがあり、更に3分×16種目の下半身を中心としたトレーニングが行われる。それが終わってやっと朝食だという。

少し紹介しただけでも厳しいのは伝わったと思うがこれからきっちり午前、午後のトレーニングがあり、夕食後は前途した日大三高の強打を支える仕上げの素振りが1~2時間あるという。この合宿を乗り越えた時、選手は一回りも二回りも成長しているという。

家族から教わった事

小倉監督は関東一高時代、奥さんに指摘された。それは選手達との食事中の事である。奥さんは楽しい食事の時間に選手達が黙って食べているのが我慢ならなかったようだ。少し抵抗はあったが変えてみたところ、チームは明るくなったという。

野球を離れていた時代に娘さんを水泳教室に連れて行った小倉監督。顔も浸けることができない娘さんに対して丁寧にできる事から指導していくインストラクターを見て、選手に対して「そんな事もできないのか」と簡単に言ってしまっていたと反省した。

慕われる監督

私は1度小倉監督に会った事がある。日大三高、済美、智弁和歌山という高校野球ファンにとってはたまらない練習試合があった。トイレで偶然出くわした。一言二言であったが人の良さが伝わってきた。また、一緒に付いてきていた選手とのやりとりが良かった。何かを報告した選手に監督がお礼を言っていた短時間だったが関係の良さがすぐにわかった

前途した冬合宿にもOBが集まると言う。辛さや達成感はやった者にしか分からない。そんな合宿の意義を知るOBが後輩や監督を助けに集まってくるのだ。小倉監督がどれだけ慕われているかが分かる。

まとめ

全国制覇をした2011年、選手たちが小倉監督さんを男にする、小倉監督さんを胴上げする」と口にしていたのが印象的だった。

日大三高は苦楽を共にする事で家族のような絆と明るさを持っている。そんな大家族がまた甲子園で躍動するところを私は見たい

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