スポーツ情報&応援サイト すぽたま

スポーツをこよなく愛する者が、競技、選手、チーム等の注目した情報を書いていきます。

大久保嘉人、妻や父との絆がすごい

   

大久保嘉人選手は3年連続でJリーグの得点王に輝くなど、日本を代表するストライカーと言っても過言ではない。高校時代から注目をされ続け、それにこたえる活躍もしてきたが、2010年~2013年には不振に陥った。復活のきっかけは父の言葉だった。そんな父と復活を支えた妻との絆に迫ってみる。

スポンサーリンク




経歴

大久保選手は福岡県出身、小学校3年生からサッカーを始め、長崎県の名門国見高校に入学した。国見高校ではチームの中心としてチームを引っ張り、全国制覇を成し遂げた。

その頃からプロ注目の選手であり、高校卒業後複数のJリーグクラブからオファーがあった中、育成にも定評のあるセレッソ大阪に入団が決まった。

1年目にチームはJ2に降格するが、セレッソに残って、そのシーズンで日本人トップの18ゴールを挙げ、たった1年でセレッソをJ1昇格に導いた。

世界の舞台でもアテネオリンピックで2ゴールを挙げる活躍をして、2004年にはスペインのマヨルカに移籍。2004~2005シーズン降格の危機に瀕していたマヨルカを1部残留に導く活躍を魅せ、スペインリーグの若手ベストイレブンに選出された。ワールドカップでは南アフリカ大会で主力としてチームを決勝トーナメントに導いた。また、4年後のブラジル大会にも最後の最後で代表に選出された。

Jリーグでは2013年から3年連続の得点王に輝き、2016年にはJリーグの最多ゴール記録を更新。その記録を伸ばし続けている。

父の厳しい言葉で復活

大久保選手はワールドカップ南アフリカ大会に出場し、活躍したことで大きな目標を達成してしまった事で燃え尽き症候群を発症、極度の不振に陥った。代表にも呼ばれなくなり、代表も諦めていた時期があったという。

そんな大久保選手に父、克博さんは「それだったらもうサッカー辞めろ」と厳しい言葉を言った。やるからには代表を目指せという厳しくも愛情のある言葉に大久保選手は奮起した。

2013年川崎フロンターレに移籍するとシーズン開幕から得点を重ねた。しかしそのシーズン途中に克博さんは病気で永眠することになる。それでも悲しみを押し殺して貪欲にゴールを狙い、自身初の得点王に輝く。最終戦ではインタビューで父のことに触れられた際はこらえきれず、涙を流した。

翌年、ワールドカップブラジル大会に代表として選出された。父の想いに応え、代表を諦めず戦った結果の選出だった。その後も2014,2015とJリーグ得点王に輝く。3年連続得点王は史上初の快挙である。大久保選手の復活のかげには父の存在が大きかった事は言うまでもない。

妻との絆

燃え尽き症候群の大久保選手を支えたのは父ともう一人、妻の莉瑛さんである。ピッチ上では猛々しい大久保選手も莉瑛さんには頭があがらないらしい。

そんな莉瑛さんが病気で抗がん剤治療が必要となったと分かったとき、大久保選手は3人の息子と共に頭を丸刈りにした。抗がん剤治療の副作用で脱毛の不安を和らげるために息子たちと相談したという。

国見高校時代を見ている私にとっては全く違和感はなく、むしろ丸刈りのほうがしっくりくる。ただみんなで丸刈りにするとは家族の絆を感じる。こんな素敵な家族のためにも大久保選手は得点を取り続けているんだなと感じた。

病気を公表したのは、莉瑛さん自身が大久保選手が何か罰をうけて丸刈りにしたと思われるのが嫌だったからだとか。良くも悪くもピッチ上では猛々しいイメージのある大久保選手に対する莉瑛さんの大きな愛情を感じる。

現在でも大久保選手はJリーグ最多得点記録を更新し続けている。父の想い、家族との絆を力に変えて大久保選手は戦い続けるのだろう。そんな大久保選手をこれからも応援していきたい。

スポンサーリンク




 - サッカー