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済美野球部、中矢太監督 二人の名将から教わったこと

   

愛媛県の強豪・済美愛媛の名将・上甲正典さんが2004春、創部3年目のチームを初出場初優勝に導いた事が記憶に新しい。現在、済美を率いるのは中矢太監督である。今回は中矢監督について書いていきたい。

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経歴

愛媛県出身の中矢監督は高知県の強豪・明徳義塾で名将・馬淵史郎監督の元で内野手として活躍、1992夏の甲子園に出場した。専修大学を卒業後、地元に戻り創部当初の済美にコーチとして招かれた

上甲正典さんの元で指導を学び、鬼のノックで選手を鍛えた。2004年春の優勝、夏の準優勝、2013春の準優勝もスタッフとして経験している。2014年に上甲さんが急逝、済美の不祥事など試練の時期を乗り越えて2016夏に監督に就任した。1年後、夏の愛媛県大会を制し、監督として聖地に帰ってきた。

猛練習

上甲さんの元でコーチを始めた頃、日本一になるために日本一の厳しい練習を行っていた。そんな中で中矢監督も鬼のようなノックで選手を鍛えた。

中矢監督も明徳義塾の選手だった頃、同じように鍛えあげられた「甲子園に行く為には自分に勝たなくてはいけない」と考え、容赦なく鍛えた。今でこそそこまで徹底的にやることは無くなったが自分に勝ったものだけが行ける場所に向かって済美の練習は行われている

試練の時期

2014年は済美にとって試練の時期だった。9月、済美を強豪に育てあげた上甲さんが急逝し、悲しみに暮れる中、高野連から済美にとって厳しい処分がくだされた。

部内のいじめが発覚、済美は1年間の対外試合禁止処分を受けた。当時の2年生にとって春はおろか、夏の挑戦権をも絶たれる処分だった。後を受けた乗松征記前監督と共に苦しい時期を耐えた。

明徳義塾戦

中矢監督就任直後の秋季大会、済美は愛媛県大会3位で四国大会に進出した。四国大会は準決勝まで勝ち上がり、中矢監督の母校である明徳義塾と対戦した。勝てば春の甲子園という大切な試合で済美はコールド負け喫する

恩師の馬淵監督から手痛い洗礼を受けた形になったが、中矢監督率いる済美はただでは転けなかった。力不足を痛感した済美は木製バットでの素振りで打撃力を強化夏の爆発に繋げた。済美は負けから多くのものを吸収した。

二人の名将

中矢監督は高校野球を代表する二人の名将から指導を受けた数少ない人である。馬淵監督からは練習の他にも勝負への執念を学んだ。中矢監督の出場した1992夏の甲子園といえば、星稜の松井秀喜選手に対する馬淵監督の5打席連続敬遠が話題になった年である。

上甲さんには創部当初から寄り添い、指導のイロハを学んだ。二人の名将から得たものを活かし中矢監督は甲子園でどんな試合を見せてくれるのか。本当に楽しみである。

最後に

中矢監督の監督としての道はまだ始まったばかりである。偉大な監督の後を継ぐのは非常にプレッシャーのかかる事だろう。中矢監督の済美野球を見せてもらいたい。そして贅沢を言えば済美vs明徳義塾を甲子園でもう一度見せて欲しい

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