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作陽高校サッカー部、野村雅之総監督のチーム作り

   

岡山県の作陽高校サッカー部は全国でも注目を浴びる強豪校である。作陽の野村雅之総監督はユニークな独創性溢れる指導で作陽を強豪校に育てた。今回は作陽の野村総監督について調べてみた。

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経歴

東京生まれ広島育ちの野村総監督は広島国泰寺高校のGKとして第62回全国高校サッカー選手県大会に出場した。(1回戦0-1日立工)筑波大に進学した野村総監督だったが怪我が原因で4年生の時は学生コーチを務めた。後輩には中山雅史氏、井原正巳氏がいる。

大学卒業後、作陽高校の保健体育教師となりサッカー部のコーチを任される。1999年にはサッカー部監督に就任、独創的な指導でチームを強化し、第85回全国高校サッカー選手権大会において岡山県勢初の準優勝を果たす。2017年3月に自身は総監督となり、監督は全国準優勝時に主将を務めた酒井貴政氏が引き継いだ

サッカーどころ作り

野村総監督は監督に就任した頃から作陽高校のある津山市や美作地区をサッカーどころにするという活動を始めた。まずは作陽高校サッカー部員によるサッカー教室から始まったという。

その結果、地元の理解が得られ、部員が増え、指導者も増えていったという。日韓ワールドカップのキャンプ誘致の際に湯郷ベルも誕生美作サッカー場ではスロベニアがキャンプをはった。

湯郷ベルの下部組織を作陽高校が担う形で女子サッカー部も全国区になった。現在では美作地区を中心にサッカーによる経済効果が評価されるまでに至っている。星稜で全国制覇を果たした河崎護監督も同じく石川をサッカーどころにする活動に力を入れていた。

指導者の育成

サッカーどころ作りが進む過程で指導者の育成も平行して行われていた。野村総監督の指導者ノウハウを教わった指導者が増え、地域にサッカーが根付いていったのである。

酒井貴政監督もその一人であり、準優勝の後、高知大学からファジアーノ岡山に進んだ。現役引退後はファジアーノ岡山U-15の監督を務めた後、作陽に戻ってきた。また、作陽女子サッカー部、フットサルの監督も野村総監督の元で育った指導者である。

好奇心旺盛

野村総監督であったり河崎護監督であったり、名将と呼ばれる人はサッカーに対する好奇心が半端ではない。それがましてや町づくりにまで発展していくとは本当に恐れ入る。

大変な事ではあるが、まるで楽しんでいるかのようにサッカーを探求し続けている。その中で生まれたであろうチーム育成術も注目されている。

創造と破壊

野村総監督のチーム作りの特徴は100人以上居る部員を5つのカテゴリーに分ける。トップチームを作ったらまた一度崩して作り上げるの繰り返しである。そうして選手権に向けてチームが作られる。

一度作ったチームを壊すのは成長した選手を引き上げるためである。下のカテゴリーの選手にも十分にチャンスがあり、トップチームの選手もうかうかしていられない。そんなある種の緊張感が選手層の厚さを生み作陽を強くしているのである。

数学脳

野村総監督は自身の事を数学脳だと言う。サッカーでも技術や知識を暗記するのではなく、公式を導き出し、それを元に育成していくのだという。

私もサッカーの指導者ではあるが、そういった考えは今までなかった。言われてみれば、一つの公式からいろんなものに広げていける事に気付いた。野村総監督には本当に感謝している。

iPad

野村総監督は指導においてiPadを使用するという。過去のデータや相手の知識がすぐに出てくるから便利だと話す。ホワイトボードの代わりにもなるし、前途したチーム作りにも役立っている。

ここからも野村総監督の好奇心が溢れているように思う。良いと思った事はすぐに取り入れ、どんどん自分のスタイルに組み込んでいく

選手の育成

作陽では学校のイベントはサッカー部員が中心となって進められる。その際に選手達はどうすれば効率よくいくか、どのような準備が必要かを考えて行っている。

サッカー教室もそうであるが選手が考え、やってみる事で選手の自立、自律が促される。そういった日頃からの活動が相手によって戦い方を変える作陽スタイルを生み出すのである。

最後に

野村総監督は総監督となっても公式戦のベンチには入るという。まだまだ野村総監督の戦いは続くのだ。これからも岡山から新しいものを生み出し続けて欲しい。作陽のそして野村総監督のこれからを期待している。

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