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仙台育英高校野球部、強豪に育てた二人の監督の指導

   

甲子園で春夏通算3度の準優勝を誇る仙台育英高校野球部。仙台育英の野球を語るうえではずせないのが竹田利秋・前監督と佐々木順一朗・現監督である。そんな二人の道のりを探ってみた。

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竹田利秋・前監督

竹田・前監督は和歌山県出身で和歌山工業の内野手として甲子園に出場。國學院大学卒業後、就職していたが大学のOBの後任という形で東北高校野球部のコーチに就任する。1968年に監督に就任し、東北を甲子園に導いた

抽選会にて東北勢と当たった西日本のチームが勝負を前にして勝ったように喜ぶのを見て奮起、甲子園優勝旗の白河の関越えに情熱を注ぐ。1985年に佐々木主浩投手を擁して夏の甲子園準々決勝に進出。それを期に和歌山への帰郷を考えたが、宮城県知事等の働きかけで仙台育英への異動となった。

4年後の1989年、夏の甲子園で決勝に進出、帝京との死闘に敗れて悲願達成とはならなかったが、仙台育英を全国の強豪に育て上げた。1995年の夏を最後に東北時代の教え子である佐々木順一朗監督に後を託して退任、自身は母校國學院大学の監督に就任した。

佐々木順一朗監督

東北で竹田監督(当時)の指導のもと、エースとして甲子園に2度出場する。早稲田大学、社会人野球を経て恩師竹田監督が指導する仙台育英のコーチに就任する。1995年、竹田監督からバトンをわたされ、監督に就任する。

2001年春の甲子園で東北勢初の決勝に進出するも、常総学院に惜しくも敗れる。2015年夏の甲子園でも決勝まで進むが、またもや準優勝に終わった。竹田監督時代を含めて3度の決勝進出も全国制覇まであと一歩のところで届かなかった。しかし、両監督の築き上げた実績で、仙台育英には毎年多くの部員が入部してきている。

選手が考える練習

竹田監督時代に取り入れた選手主導の練習法は有名である。竹田前監督も昔はスパルタ方式で厳しい指導者であったが、運動学メンタルトレーニングを学ぶにつれて指導方が一転した。監督が叩き台を出し、選手達が考えてメニューを決める。監督はそれを許可したり、時折アドバイスをする。

ちなみに佐々木監督はスパルタ時代の竹田監督に指導を受けていたので仙台育英で再会した時には驚いたという。佐々木監督もこの方法を継承している。監督がグラウンドにほとんど顔を出さない日さえある

役割分担

仙台育英では100人以上いる部員で前途した選手主導の練習を行うために選手達の中から助監督が選ばれる。他にもマネージャー、グランド整備担当、道具管理担当、部室掃除担当、一年生教育係といったさまざまな役割を作り、100人を超える部員全員が役割をもっている。

しかし、助監督、マネージャーはその役割が重要でやることが多いため、選手兼任ができない事実上選手引退となるため、なかなか決まらない事もあるというが、話し合いを通じて自分がどのようにチームに貢献するかを考える機会にもなるし、チームの結束力もより強固なものになるという。これも竹田・佐々木両監督が実践してきた重要なポイントである。

個性の尊重

佐々木監督が導入した野球ノート。後から見返した時にこの日に何があったのか分かるノートにしなければならないが、大半の選手は入部当初はあまり書けない、書くことがわからないという。日をおうごとにその内容は変わっていく。自分の事ばかり書いていた選手がチーム全体の事を書き出したり、佐々木監督はその精神的な成長を見ている。

ノートの構成は自由なため、個性が出るそうで、選手を知るために重要な要素だと佐々木監督は考えている。またテーマ自由のグループによる勉強発表会なるものがあるようで、その勉強内容や発表内容、発表の方法にも選手一人ひとりの個性や流行っていること、考え方などが詰まっている。選手の個性を知る他に、親子以上に歳の違う監督と選手の距離を縮めるという意味でも一役かっている。

まとめ

未だに東北勢の甲子園優勝は成っていない。しかし、東北のレベルは、既にいつ全国制覇を手にしてもおかしくないくらいに上がっている。東北の高校野球において、竹田・佐々木両監督の功績は計り知れない。抽選会で竹田前監督が見た、東北のチームと当たって喜ぶような光景は今はない。残すは悲願の全国制覇である。その時は限りなく近い。

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