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東海大菅生野球部、若林弘泰監督 選手との信頼関係でチーム強化

   

西東京の東海大菅生は必ず上位に食い込んでくる屈指の強豪校である。率いるのは中日ドラゴンズに在籍した事もある若林弘泰監督である。西東京大会3年連続決勝で敗退など悔しさを乗り越え2015春、2017夏の甲子園に出場を果たした。今回は若林監督について調べてみた。

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経歴

神奈川県出身の若林監督は原辰徳さん(元巨人)に憧れて東海大相模に入学した。投手として活躍し、進学した東海大学では最優秀投手のタイトルを獲得した。しかし、肘の故障があり手術を余儀なくされた。

社会人野球を経て中日ドラゴンズに入団するが、故障の後遺症により思った活躍が出来ないまま引退した。運送業の仕事をしていたが野球に対する情熱は消えず、37歳で大学に通い教員免許を取得した。

2009年、東海大菅生の野球部監督に就任すると次第に好成績を挙げ、2014夏から3年連続で決勝に進出するも敗れた。しかし、2014秋の大会を制して2015春の甲子園に出場した(0-8大阪桐蔭)。2017夏は西東京の強豪、日大三早実を破って悲願の夏の甲子園出場を果たした。

プロとアマの違い

若林監督は6年間に及ぶプロ生活を経験していたので、コーチの役割の重要性を知っていた。プロではほとんどコーチに任せる監督が多い。完全に勝負の世界なので、そうしなければやっていけない事情もある。

しかし、高校野球における監督と選手は離れた所に居てはいけない。若林監督がぶつかった壁は先ずそこにあった。コーチに任せ過ぎて選手とのコミュニケーションが図れていなかったのである。

大敗の果てに

2014春の大会で東海大菅生は日大三にコールド負けを喫した。その際に選手との距離が遠かった事を痛感した若林監督は指導法を変え、自らどんどん前に出て行く事で選手とのコミュニケーションを図った

迎えた夏の準決勝で日大三にリベンジを果たすことに成功した。決勝では敗れたが、続く秋季大会を制して春の甲子園の切符を掴んだ。若林監督は一つの大敗から多くのものを学んだのである。

信頼関係

選手との距離が縮まった事によって選手との信頼関係が生まれた選手からポジションの進言があり、若林監督がそれを採用して良い結果を残すなど、目覚ましい活躍が見られるようになった。

また次の世代に繋げる試合や練習を行っている事が東海大菅生の特徴である。先発に2年生投手を起用したり、1年生を夏の登録メンバーに入れたり、それが東海大菅生が良い結果を残し続ける理由である。

3年連続決勝敗退

東海大菅生には苦い経験がある。2014夏の西東京大会から3年連続で決勝で敗退している。2014年1-2日大鶴ヶ岡、2015年6-8早実、2016年3-5八王子。若林監督も選手も悔しい思いだったであろう。

その悔しい思いをぶつけたのが2017夏の西東京大会だった。日大三、早実とその年の春の甲子園出場校を破っての甲子園出場である。四年連続の決勝進出、実力は疑いようがない。これからの活躍も楽しみである。

最後に

若林監督はまだ甲子園での勝ち星が無い。前回は強豪・大阪桐蔭に阻まれた。甲子園での勝利が欲しいところだ。その1勝が東海大菅生を更に高いところまで連れて行くかもしれない。甲子園とはそういう場所である。東海大菅生の健闘を祈っている。

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