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東海大相模野球部、門馬敬冶監督と選手が持つ東海大相模プライド

   

神奈川県の東海大相模高校は高校野球の全国的な強豪校である。率いるのは門馬敬治監督である。門馬監督は名門を率いるプレッシャーと戦い、見事に全国制覇を果たした。そんな門馬監督に注目したい。

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経歴

東海大相模中から東海大相模高校、さらに東海大に進学した。野球は高校時代に負傷し、大学ではマネージャー、学生コーチをして指導を学んだ。お手本は恩師でもある原貢さん(元東海大・東海大相模監督)である。

原貢さんからの進言もあり、1999年に東海大相模の監督に就任。翌年の2000春の甲子園では決勝戦で智辯和歌山を破り、全国制覇を果たす。その後は勝てない時期があり、プレッシャーとOBからの厳しい声に悩まされながらも復活。2011春、2015夏を制して東海大相模復活を印象づけた。

野球漬けの生活

門馬監督の平日の行動範囲は選手寮の隣にある自宅、球場、学校の半径300mくらいに限られるという。昔から歴代東海大相模監督が入るという選手寮の隣にある一軒家、目の前は球場である。

門馬監督は選手達と一日中一緒に居るという生活である。野球部から離れたくても離れられない環境に身を置く事が東海大相模の監督の伝統である。門馬監督はその中で名門のプレッシャーと戦いながらも、常に野球を勉強し、今の地位を築いた。

勝てない時代

門馬監督は2000春に全国制覇を成し遂げてから、神奈川県で勝てない時期が続いた。勝つ=優勝であるため、神奈川県の強豪、横浜桐光学園等の強豪を倒さなくてはならない。その道のりは想像以上に厳しい

春は4年間、夏に至っては就任以来10年間行く事は出来なかった。そこまでは門馬監督にとっても辛く苦しい日々だったと思う。29歳で監督に就任し、周囲には年上の偉大なOB達がいる。采配や練習について厳しい言葉も多々あっただろう。しかし、門馬監督は真摯に受け入れ、取り入れる所は取り入れ着々と力をつけていった

基礎練習の繰り返し

広島カープ田中広輔選手が語るには東海大相模は特別これといった練習は無く、基礎練習の繰り返しの毎日だったという。しかし、その練習量や細かい技術指導は凄いものがあったという。東海大相模が強豪であり続けられる理由はそこにあると田中選手は語る。

また門馬監督は常に野球の事を勉強し、多くの知識を得ていた。それを選手達に還元し田中選手をはじめ、多くのプロ野球を輩出してきた。今や全国屈指の名門となった東海大相模の強さの秘訣門馬監督の技術指導に裏打ちされた基礎練習の反復である。

横浜・渡辺元監督

神奈川県には横浜という最大のライバルが居る。数々の激戦があった。その中で築かれてきた渡辺元智・元横浜監督との絆も非常に強い。渡辺監督が勇退を決めた夏、最後の相手が東海大相模だった。

その最後の試合となった神奈川県大会決勝戦は東海大相模の勝利に終わった。門馬監督は恒例となった監督の胴上げは行わず、渡辺監督への敬意を示した渡辺監督に激励され挑んだ直後の甲子園で門馬監督は自身初の夏制覇を果たした

プライド

東海大相模の選手達はユニフォームの縦縞にプライドを持っている。門馬監督がそれを植え込んでいる。オリジナルエンブレムを作成したのも東海大相模のブランド力を高める為である。

東海大相模の選手であるというプライドを持った選手達はそれなりの覚悟を持って練習や試合に挑む。東海大相模の新入部員が感じるという先輩達の威厳、ある種の恐ろしさはこの東海大相模の選手であるというプライドに他ならない。

最後に

東海大系列の高校は全国各地にある。その中でも東海大相模は実績でもトップを走る。門馬監督の戦いはこれからも続く。甲子園で縦縞のユニフォームが躍動する事を期待している。

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