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敦賀気比高校野球部を支える監督と部長のチーム愛

      2016/03/16

北陸勢初の甲子園制覇を果たした敦賀気比高校野球部。ここに至るまで、様々な困難があった。苦しい時もチームを支え続けた現部長の林博美さんとその教え子で現監督の東哲平さん。強豪復活までの軌跡を探ってみた。

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躍進

林博美さんは1896年野球部創部と同時に初代部長に就任89年から92年まで監督を務め、創成期を支える。その後、野球部は創部10周年で甲子園に出場して全国に名を広めようと、1992年当時鯖江ボーイズで監督をしていた渡辺孝一氏が監督に就任した。

第76回夏の選手権(1994年)に初出場を果たすと、翌年の第77回選手権(1995年)では準決勝進出の好成績を残した。第79回選手権ではベスト8、翌年の春の選抜にも初出場を果たすなど、名実ともに強豪の仲間入りをした。

不祥事と低迷期

1998年春の甲子園大会後、敦賀気比の名前を全国クラスに引き上げた渡辺孝一氏の体罰の発覚に伴い、渡辺氏は辞任。その後の監督を受けたのが林博美現部長である。

当時は渡辺氏を慕って入部した選手が多く、まとめるのは容易ではなっかた。実際、部員が半減した学年もあったという。だが、その夏も現監督の東哲平さん等の活躍で春夏連続で甲子園出場をを果たした

教員でもあった林さんは生活面での改善など部の改革に取り組んだ。その結果、99年秋には北信越大会優勝、明治神宮大会準優勝という成績を残し、2000年春の選抜出場は確実視されていた。

しかしながら、次は選手の不祥事により選抜出場を辞退をすることになる。生活面での改善に力を入れていた林さんのショックは大きく、監督を辞任。これ以来、敦賀気比高校野球部はしばらくの間、甲子園から姿を消すことになる。

東哲平氏の指導者就任

林博美さんの2度目の監督就任直後の県大会で活躍し、春夏連続の甲子園出場の立役者になったのが、東哲平現監督である。東さんは高校卒業後、社会人野球に進んだが活躍できずに退社する。

挫折を味わった東さんであるが、野球への未練は断ち切れなかった。福井県で指導者として再起する。北陸高校のコーチ、監督を経て中学生の硬式野球チーム・オールスター福井の監督に就任する。そこで数多くの優秀な選手を育成した功績が認められ、敦賀気比高校のコーチとして招聘されることになる。

10年ぶりの甲子園出場

監督としての肩書がなくなった林博美さんであったが、「どうやったら敦賀気比を再び強くできるか」と常にチームの力になっていた。その後、再び部長・監督を歴任することになる。

その思いは2008年、10年ぶりの春の選抜出場に繋がる。そのときの中心選手が東哲平さんが育てた選手だった。翌年は林博美監督として11年ぶりに夏の甲子園出場はたす。この時期には東さんがコーチに就任。2010年春の選抜ではベスト8の好成績を残すことになる。

翌年の夏の予選敗退後、監督は東哲平さんに引き継がれた。林さんは部長として監督をサポートすることになった。林さんはこう語る

「中途半端な形で投げ出したくなかった。それは多少なりとも僕のプライド。もう1度強い敦賀気比を復活させたかった。」

「哲平はいろいろな経験をする中で、人間的にも指導者としても成長した。チームを任せたい。」

また、敦賀気比高校校長の菊崎俊一校長は苦しい時代を支えた林さんについてこう語った。

「苦しい時代、野球部を支えられるのは林さんしかいなかった。批判されても腹を立てず耐えていた。辛抱強く、よく切り抜けてくれた。」

引き継がれたチーム愛

その後、東哲平監督、林博美部長の2014年夏の選手権で19年ぶりのベスト4、翌年春の選抜では北陸勢初の甲子園制覇を果たす。

「いい経験もつらい経験も指導者として役にたっている。全国で勝ち上がる気比にしたい。」

就任後にこう話した東監督の想いは実った。

「僕らの時代は、『外人部隊』と言われたことが、すごく残っている。だからこそ、もっと愛されるチームを作りたい。一生懸命プレーすれば共感してもらえる。多くの共感が選手の力になっている」

そう語る東監督から、林部長と同じ大きなチーム愛がにじみ出ている。

東哲平監督と林博美部長が愛する敦賀気比高校野球部はこれからも甲子園で躍動するに違いない。期待を込めて甲子園大会を待とうと思う。

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