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矢板中央サッカー部、高橋健二監督の高校サッカーにかける情熱

   

栃木県の矢板中央高校は全国的なサッカーの強豪校である。2009年選手権ではベスト4に入り、それからも優秀な選手を輩出している。矢板中央を率いるのは高橋健二監督である。高橋監督は矢板中央をどのようにして強豪に育てていったのか、そのプロセスに迫ってみた。

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経歴

高橋監督は少年時代、帝京高校のサッカーを見て憧れを抱き、サッカーを始めた。選手権出場を目指し矢板東でプレーしたが、選手権出場はならなかった。国体選抜にも選出されていた高橋監督は国体で3位入賞の好成績をあげると仙台大学に進学した。

大学卒業後に矢板中央のサッカー部監督に就任。決して強いとは言えなかったサッカー部をブラジル留学や外部コーチを招聘して強化し、2004年の選手権に初出場を果たした。2009年にはベスト4の成績を残すなど高校サッカーの強豪として認識されるようになった。

高校サッカー選手への憧れ

高校サッカー選手権に強い憧れを抱いていた高橋監督は矢板中央を全国大会に連れて行く事を目標に指導を始めた。私もサッカー少年だっただけに高橋監督の気持ちは良く解る。あの音楽、あの雰囲気、あの舞台に立ちたいと努力したものだ。高橋監督と同じく選手権出場を逃し、後に指導者になったのも全く同じである。

就任当時、13名の部員しか居なかった矢板中央では全国大会に行くという高橋監督の思いは学校関係者や選手にはあまり伝わらなかったようである。というのも栃木県には真岡佐野日大といった強豪が立ちはだかっており、当時の矢板中央では太刀打ちできないくらいの差があったのも理由の一つである。それでも高橋監督は諦める事なくチームの強化を模索し続けた。

ブラジル留学

転機は恩師の薦めで調べてみたサッカー大国ブラジルとの関わりである。ブラジル国内で選手の受け入れ先を発見した高橋監督は現地まで赴き下調べを行った。自費で行ったという高橋監督の情熱には頭の下がるおもいである。

高橋監督の情熱は学校にも伝わり、ブラジル留学が実現した。10年続いたブラジル留学で選手の力は格段に上がったという。ブラジル留学が功を奏し、栃木県内では上位の常連となった矢板中央だったが、栃木県強豪の壁は厚く選手権出場を逃す結果が続く事になる。

憧れの名将

選手権出場に僅かに届かない差は何かと悩む高橋監督を救ったのは少年時代に憧れた、帝京を率いた古沼貞雄であった。関東大会で面識のあった古沼氏に高橋監督は思い切って協力をお願いしたのである。

古沼氏は頑固なイメージがあるが熱い男の頼みには弱いのであろう、自分が指導した帝京のライバルになるかもしれない矢板中央に赴き、指導やアドバイスを行ったという。

堅守速攻

ブラジル仕込みの個人技を活かした攻撃力は折り紙つきであった矢板中央だったが、失点も少なくなかった。古沼氏が手を加えたのは守備を含めた基本練習。守備の原理原則を知る事でチーム力は格段に上がったという。

堅い守備からの一人で打開できる屈強なFW陣の速攻は猛威を振るう事になる。一発勝負のトーナメント戦で大切なのは安定した守備である。百戦錬磨の古沼氏の知識と高橋監督の情熱の融合が矢板中央を全国の強豪に育てたのである。

高橋監督の強み

私は高橋監督に会った事はない。あくまでインタビューや試合中の印象であるが、熱い人だという事が伝わる。そしてその人柄が協力者を集めるのだと思う。学校関係者であったり古沼氏であったり高橋監督には強力な助っ人が多いのだ。

高橋監督は自分の指導だけではなく、古沼氏などにアドバイスを仰ぐという柔軟性がある。高橋監督本人が若い頃は他の指導者のアドバイスを聞く耳を持っていなかったと振り返る。しかし、それがチームにとって駄目な事だと気付いた。自分の経験不足で落とす試合があったと気付いた事が古沼氏との出会いに繋がったのである。

最後に

私は高橋監督がうらやましい。高校選手権に憧れ、選手として果たせなかった夢を指導者として叶えた。言うのは簡単だが相当苦労しただろう。私も自分の指導するカテゴリーで全国大会に行ってみたいものだ。今後の矢板中央の活躍を願っている。

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