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山形中央野球部、庄司秀幸監督から学ぶ『感謝心』

   

2014夏の甲子園山形予選決勝、甲子園出場を決めた選手達はマウンドに集まり、喜びを爆発させる事もなく素早く綺麗に整列した。甲子園を決めたチームではないかのように、いたって冷静に綺麗な挨拶をした。そんな山形中央高校野球部庄司秀幸監督の指導方針『感謝心』に迫ってみた。

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高校時代に心の弱さを痛感

庄司監督は1992年、山形中央野球部に入部。翌年夏には打撃を評価されて、6番外野手で山形予選を決勝まで勝ち上がる。レギュラーが2年生中心だった山形中央。決勝戦当日は大雨で、庄司監督含む2年生は中止と思い込んだ。ところが天気は好転し試合は決行。下がったモチベーションは再び上がる事なく日大山形に1-20で大敗を喫した。

自分達の心の緩みから、3年生を引退させてしまった事を悔やんだ2年生達は技術だけではなく、心も磨く事を決心した。以来、山形中央の選手はグラウンド周辺の落ち葉拾いや地元の人へのあいさつに励むようになる。

その結果、1993年秋、1994年春と県大会で優勝し、1994年の夏の山形予選は第1シードになった。優勝候補筆頭に挙げられて迎えた初戦の鶴岡工戦で0-3の完封負け。慢心があった山形中央の選手達は、鶴岡工の父兄や地元住民の大応援に圧倒された。またしても心の弱さを痛感する事になった。庄司監督は高校時代に甲子園出場する事は出来なかった

大学、社会人で感謝心を学ぶ

教師としての高校野球監督を目指すと決意した庄司監督は1995年春、東京学芸大学に進学する。野球部に所属し、新東京リーグで盗塁王3回、ベストナイン2回、打点王1回と輝かしい成績をおさめ、主将も務めた

大学3年の12月に住友金属和歌山野球部の体験合宿に参加したのをきっかけに、当時の筒井大助監督と知り合う。筒井監督は「教師として高校野球の監督になるために社会人野球を勉強したい」という庄司監督を住友金属鹿島に紹介してくれた。そこで指導者になるためのコーチングやトレーニング法を学んだ。

社会人野球の選手は練習や試合に参加するために、仕事を休む事も多い。それをカバーしてくれる、同僚や上司の姿に感謝した。教師を目指すため退職する際も、悩む庄司監督の背中を押してくれたのが上司だった。

庄司監督は大学・社会人を通して、人を思いやる気持ちと、それに対する感謝心を学んだ。「筒井監督や職場の上司のように野球のプレーを超えた人を思いやる気持ちと感謝心を持つ大切さを子供たちにも伝えたい」という思いを強くした。

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高校野球監督

2000年12月に庄司監督は住金鹿島を退職。2001年4月から高校時代に敗れた鶴岡工で教員採用試験の勉強をしながら、野球部の監督をする事になる。

鶴岡工で3年目の夏。採用試験と夏の大会3回戦が同じ日に重なった。勝った場合は試験を受けないと言う庄司監督に、鶴岡工の3年生達は自分達は良くても後輩達が困るからと、試験を受けるように説得した。

3回戦の当日、奇跡の雨が降り、試合は2日も延びた。その3回戦で逆転サヨナラ勝ちを収めると、チームはベスト4に進出し、庄司監督も採用試験に合格した。

庄司監督は、心を磨く大切さ、人を思いやる気持ちと感謝心を持つ大切さ、そして子供と共に学ぶ大切さを心に刻んだ

甲子園出場

母校に監督として戻った庄司監督は、春2回、夏2回の甲子園出場に導く。そこでの山形中央の選手達の行動から庄司監督の指導が垣間見えた。

決勝まで進んできた相手への敬意、甲子園あと一歩で敗れた相手への思いやり、対戦してくれた相手への感謝。そんな気持ちが、決勝戦での行動に繋がったのだろう。綺麗に並んだ挨拶、アップ場の片付け、周辺の清掃など、甲子園でも賞賛された

そんな山形中央を心から応援している

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