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横浜高校野球部、平田徹新監督とは

   

横浜高校野球部を半世紀近く率いてきた渡辺元智・元監督からバトンを渡された平田徹監督。プレッシャーもかかる中、監督交代直後の秋、年をまたいだ春と連続で神奈川県を制覇する。平田徹監督とはどのような人なのかを調べてみた。

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経歴

横浜市出身で軟式野球の捕手としてプレーしていた平田監督は、中学校3年生の時の松坂大輔投手(福岡ソフトバンクホークス)擁する横浜の春夏連覇を見て、横浜に入学する事を決めた。

横浜では選手のレベルの高さに圧倒され、練習についていくのがやっとの状況であった。レギュラーも遠い状況の中、3年生が引退し、自分達が最高学年になった2年生の秋に突然、主将に任命される。新チーム発足後は別の選手が主将だったため、一時的なものかと考えた平田監督であったが、そんな様子もなく平田監督も腹をくくった。明らかに実力が上の選手も引っ張っていかなければいけない状況で苦労したが、野球に対する取り組む姿勢でチームを牽引した。チームは2001年夏の甲子園でベスト4に進出、平田監督の出場は1試合だけであったが、主将としての責任を果たした。

この頃から渡辺・元監督からは「これからもっと野球を覚えれば指導者としての道もひらけるじゃないか」と言われていた。渡辺・元監督はこの頃すでに平田監督の指導者としての資質を見抜いていたのかもしれない。

国際武道大学に進学した平田監督は、3年生の時に母校に練習の手伝いをしに行ったのをきっかけに指導者の道を志す。そして渡辺監督・小倉清一郎部長の名コンビのもと、指導者としての道をスタートさせた。そして2014年に小倉部長、2015年に渡辺監督が相次いで退任し、平田監督は32歳の若さで横浜高校野球部監督に就任した。

二人から学んだもの

渡辺・元監督は、バイタリティーがあり、グラウンドの中でも外でも常に野球と選手の事を考えている。平田監督よりもかなり若い24歳で監督に就任し、半世紀近く指導してきた。時には決勝で敗れて逃避行、監督を任せて部長になることもあった。他の誰よりも苦労した中でも、常に横浜の野球の事を考えてきた背中を平田監督は見てきた。

小倉・元部長は技術面の指導に長け、ノックには定評がある。「職人野球」と言われる細かい技術論で様々な練習を行い、横浜の全盛期を支えた。「小倉ノート」と呼ばれる対戦校を分析、研究したデータは高校野球界でも非常に有名である。

二人の指導者を間近で見てこれたのは平田監督にとっても大きな経験だったに違いない。しかし、あえて試合の時は二人を意識していないという。気負ってしまうのが一番悪いという事を理解している。渡辺・元監督からも「本当に自分の思い通り、思い切って自分の好きなようにやらないと後悔する、思い切ってやって負けたら立ち直っていけるものだから、思い切ってやってみろ。」と背中を押されている。

就任直後の公式戦

就任直後に秋季大会神奈川県予選が始まった。前監督の教え子が残る大会ではあるが、圧倒的な力で勝ち上がると、準々決勝で夏の全国覇者・東海大相模を8回コールドで降し、そのまま神奈川を制してみせた

春の甲子園の切符をかけた秋季関東大会では優勝した常総学院に1回戦で敗れ、甲子園は逃した。しかし、年をまたいだ春の神奈川大会も制し、関東大会でも準優勝して全国レベルを証明した。

平田監督は、新監督だからといって4年も5年も待ってもらおうとは思っていない。横浜を背負う限り、目指すは何時でも全国制覇である。

まとめ

思い切ってやるとは言うものの横浜を率いる平田監督のプレッシャーは計り知れない。しかし、全国制覇を目標に選手と共に寝食を共にする平田監督を心から応援したい。横浜のユニフォームが甲子園で躍動する事を期待している

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